持っている人は気が付かない。
音楽の世界に限らず色々な分野で「あの人は天才だ。」とか「才能がある。」といった表現をします。
そのことについて天才といわれたことがない私が考えてみます。(;^ω^)
天才といえば、有名なところでモーツァルト、ピカソ、アインシュタイン、そして最近では羽生善治さん(ごく最近では藤井聡太さん)辻井伸行さんなどが私には思い出されます。
幼少から大人がびっくりするような能力、たとえば、一度聴いただけですぐに演奏できる、記憶力が優れている、複雑な計算ができるなど、とても難しいことを苦もなくできてしまうみたいな。
それが天才。
でもそのすごい能力は本人は気が付いていない場合が多いです。
だって、本人にはそれがあたりまえだから。
自分がやって、できない人をみて、「どうしてこんな簡単なことができないんだ?」って思う。
嫌味じゃなくて。
ある有名な脳科学者は。
小学校の時、テストで百点は当たり前だと思っていて、他の子を見るとそうではないことに気づき、自分は他の子とちがうとさとったとか。
芸術(美術)大学のある学生が他の学生のデッサンがくるっているのをみて「どうしてそうなるのかわからない。」とまじめにつぶやいたとか。
だから天才、天賦の才(てんぷのさい。生まれながらにして持っている才能)。
本人はそんなの知ったこっちゃありません。
天才は人のことで、その能力は才能、と呼びます。
程度の差こそあれ、私にも覚えがあり。
小学校の時、聴いたメロディーを楽器で弾けるのは音楽やってる人はあたりまえだと思っていましたが実はそうでもないらしいことに気が付き、おどろいたことがあります。
私の生徒さんにもいます。
その方は音楽面でも秀でたところがありますが、なんと!
日にちをいえば、その曜日がわかってしまう、という信じられない能力があります。
これも才能、ですよね。
と、ここまでくどくどと述べてきましたが。
大事なことなのでもう一度言います。
「天才は自分が天才だと知らないことがある。」
または
「才能は持っていることに気が付かない。」
・・・ということはですよ。
あなたにも、私にも、まだ知らない、気がついてない才能があるかもしれないってことです。
そしてもっと言うならば。
どうやら、人と違うということが才能らしい、ということです。
人と違う、それは言い換えると個性というやつです。
「わ~!私にも才能あるんだ!!」
そうです、あります。
が!
まず、その才能に気が付かなくてはなりません。
なぜなら、才能というものもほったらかしにしていたら、なくなってしまう場合があるからです。
モーツァルトも父親がその才能に早く気が付き教育をしたからこそ、辻井さんもお母様が然り。
幼少の頃の才能は親やそのそばにいる人が気が付き、伸ばしてあげる。
だって、自分では気が付かないのですから。
成長してからでも、自分で「何故か楽にできること」に気がつき、それを伸ばす。
でも才能があることと、それが好き、ということが必ずしも一致しないこともあるみたいです。(;'∀')
これについてはまた別の機会に。
自分では気が付かない才能。
人とちがう、ってところがポイントかな。
ぜひ今一度考えてみてくださいね。
私も考えてみようっと。
もしかしたらお芝居の才能があったりしてw(´▽`*)
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