【ピアノ・バイオリンなど】先生が怖い?

こんにちは!

 

シェリーです^_^

 

 

先日の記事で「先生が怖い」というワードが出てきましたのでそれについて書こうと思います。

>>先日の記事こちら

ピアノやバイオリンの先生が怖い。


時々、ききます。

 

「ピアノやバイオリンの先生が怖い。」

 

私自身も子供の頃、ピアノの先生が怖かった覚えがあります。

 

練習をしていないと、ヒステリックな口調で叱られたり、できないことがあると大きくため息をつかれたり。

 

バイオリンの先生は怖い先生ではありませんでしたが、

友人や知人の先生の話をききますと、

 

「スリッパを投げられた。」とか、

「物差しで手を叩かれた。」など恐ろしい話がでてきます。

 

他にもネットの記事など調べてみますと、

「侮辱的な言葉」

「口答えが許されない」

「高圧的な態度」

など。

 

なぜこのようなことがあるのでしょうか?

 

そしてこれらは芸事の上達には仕方なく、容認すべきものなのでしょうか?

怖いことと、厳しいことはちがう。


「先生が怖い」は意味が分かれる部分があります。

 

それは、「先生自身が怖い」のか、「レッスンの内容が厳しい」のかです。

 

 

 

「先生自身が怖い」場合

 

音楽など芸術家は、感情の起伏が激しい方が多いように思います。

その時の自分の気分次第でレッスンしがちです。

(音大卒の方は「あるある」ですが、副科でバイオリン、声楽、ピアノなど複数の先生につくと

演奏の出来にかかわらず、先生の気分で褒められたり叱られたり・・・。)

 

際立った演奏家は天才的な方が多く、自分は難なく弾けるので

生徒がなぜ自分の言ったとおりに弾けないのかわからなくて、いらいらして生徒にあたる場合があります。

(先生自身が教え方がわからないのです。)

 

または、演奏家として立っていらっしゃる先生は、教えることが本意でなく(好きでなく)その苦痛から感情的になっている場合も考えられます。

 

その他、

「その先生自身がそのようなレッスンを受けてきていて、それを当然と思っている。」や

「強い態度で出るのが生徒(弟子)のためと信じている。」

「先生の人格がそうである。」

「プライドが異常に高い。」

などということもあります。

 

 

 

「レッスンの内容が厳しい」場合

 

これも時々聞かれますが、先生の教室(部屋)に入ると、なんともピリッとした空気が張り詰めていて

その雰囲気が独特であるということ。

先生のオーラ?のようなものが緊張感を生み出しているのでしょうか?

でもこれは、必要な緊張とも考えられます。

舞台での本番の予行演習のようなものです。

 

そして、音程やリズム、音質、強弱、表現などを指摘、指導されること。

あまりに見逃されずに指摘されるので、やはり緊張を感じるものです。

しかし、その口調が怒号のようなものなのか、あるいは体罰のようなものがあるかどうか、

冷たく感じる静かな口調なのかでも印象が変わります。

 

このようにみてくると、私自身は前者はNG、後者は体罰と怒号を除き、よいと思います。

 

 

教育という観点でみる。


音楽を習うことを教養を身につける、そして教育という観点でみると、

先生の気分で叱責されたり、教わる側が不快で恐怖を感じるほどのレッスンは問答無用でダメです。

 

習うのが子供だとしたら、精神的な悪い影響も考えられます。

 

とはいえ、その怖い先生がその道の権威で学ぶものがあり、どうしてもその先生がよいと思っている場合は

その限りではありません。

 

または、人生には厳しく恐怖を感じる場面もあったりしますので「これも修業」と、とらえられるのなら。

 

結局、教わる本人がどう感じているかが一番大事なことです。

(怖いのを精神の修業ととらえられるか、トラウマになる、と感じるのか?)

 

 

私自身の経験から。【読まなくてよいです】


最後に私自身の経験から。

 

始めに書いた通り、私の幼少期についたピアノの先生はこわい方でした。

 

しかめっ面で笑うことはなく、出来ないと明らかに機嫌が悪そうでした。

 

私はまだ幼い子供でしたので、練習の仕方などわかるわけもなく、

「次の曲を仕上げてきなさい。」

と言われてもどうしていいか、ただピアノの鍵盤をワケもわからず叩くのが練習だったのです。

 

ですから、子供ながらに苦肉の策で音符を読むこともせず、先の曲をやっている姉の練習

(姉は母が付いて練習をさせていました)をきき、耳コピで弾く始末。

当然、楽譜を読む力はつきませんでした。

 

姉は、母がスパルタで教えたおかげでかなり上手になりましたが、大きくなってピアノを弾くのをぱたっとやめてしまいました。

 

幼い子供には、恐怖により練習させたりするのは無効です。

音楽が嫌いになる可能性があるからです。

 

私の場合、姉の陰に隠れ、それほどは厳しくされなかったのでピアノも好きでしたし、

やりたくてはじめたバイオリンはよい先生にめぐまれ、続けることができました。

 

 

バイオリンの先生は、ちゃんと弾けなかったときは、

「ハハハ・・、練習してないねぇ。(*^▽^*)」

と、時間がたとえ10分しかたっていなくてもレッスンを終わられました。

 

そんな時、子供ながら情けなく涙がでて、

「今度はもっとちゃんと弾けるように練習しよう。(´;ω;`)ウゥゥ」

と思いました。

 

 

 

 

自分自身が先生になり、こんなケースも経験しました。

 

ほかの先生から変わられてきたその生徒さんは素晴らしく「弾ける」子でした。

 

でも、前の先生がかなり厳しい(多分怖い)方だったらしく、その演奏は力技のよう。

 

私はこんがらがったその演奏を直してさらに高みに向かえるように、と基礎からの練習をすすめましたが、

今までのやり方で弾けていたので退屈な基礎練習を丁寧にやることはなくバイオリンをやめ他の道にすすみました。

 

 

また、幼いころから親からプロになることを決められ、血がにじむ(本当に流血したそうです)練習をした人も知っていますが、本人がそれで幸せになったかは疑問が残ります。

 

 

 

バイオリンやピアノはともすれば張り詰めた緊張感が魅力となるのも事実ですが、

私は音楽は楽しいものなので、弾いている本人が何かを背負ってしまうのはいかがかな、と思ってしまうのです。