こんにちは!
シェリーです^^
学歴社会と言われて久しいですが、ここにきて必ずしも学校で良い成績をとることが最善と言われなくなってきました。
とは言え、まだまだ学習塾は大流行りで学校を終えた後に塾にいく子どもたちもたくさん見受けられます。
親にすれば、我が子にはできればお勉強ができてほしいですし、良い学校に入ってほしいのが正直なところでしょう。
もちろん私もそう思いました。(子供は成人し、そういう時期はとっくに過ぎています)
でもそれは、そうすることによって子どもたちに幸せになってほしいからです。
たまに、親が自分の承認欲求を満たすために子供を有名大学に入れたいというケースも見かけますがそれは言語道断。
(こういう場合、親はそれ〜承認欲求があるということ〜を自覚していないことがほとんど)
(私自身の場合は、親の方針「学校で勉強するのに、塾まで行く必要はない。」と塾通いを免れました🤣)
はじめに言った通り、今はすでに良い大学に入れば必ず幸せになれる時代ではなくなってきました。
ではなぜ勉強するのか?
それは『自分の頭で考える習慣をつけるため』なのではないでしょうか?
学校の教科には先人、賢人たちが残してくれた知恵と知識が詰まっています。
現代の私たちが普通に暮らしているだけではなかなか知りうることのできない知の宝庫です。
私たちは当たり前のように小学校や中学、高校に通い、テストなどに追われながらそれらの知識を学びますが、
もし学校がなかったら知り得ないことがほとんどですよね。
新しいことを習う時、う〜んと頭を使ったこと、覚えてますか?
例えば、初めて割り算やら分数の計算を習った時(私は割合や確率が苦手でした^^;)
「どーして?どうしてそうなるの?わからないよ!」
そうやって壁にぶち当たったことがあるはずです。
でもそんな新しい概念やらを理解した時、霧が晴れたようにスッと世界が広がる。
脳の使用できる領域が増えた感じ?
そうやって国語、算数(数学)、理科、社会・・・(もちろん音楽も!)
どんどん自分の脳の使える領域を増やして個々のシナプスのネットワークを増やして、いろいろな考え方ができるようにする。
そうすると何か困難にぶつかった時、たかーい壁が目の前に立ちはだかった時、なんとかしてそれを乗り越える方法を探す助けになります。(真正面から登るか?道具を使うか?叩き壊すか?横に回るか?助っ人を探すか?などなど・・・)
勉強の内容だけが大事なのでなく、(実際、難しい物理の公式なんか忘れちゃってるでしょ!?🤣)
う〜ん、といろいろな方向から考えて、自分なりの答え(一つではない)を探せるようになる耐性と頭の働かせ方と使う知識を仕入れるのが勉強。
だから、今話題の学校に行かない小学生YouTuberは、私としては大きな機会損失をしていると思うのです。
(彼のいう学校教育の弊害は確かにあると思いますが、そんなのわかっていたら彼なりに良いとこどりをすればいいだけです。)
要するに、脳の使用領域を広げましょう、という話。
最近、私のバイオリンの生徒さんで、一生懸命練習していると後頭部が熱くなって?くる、ということを聞きました。
すご〜く頭を使っているのでしょうね。
良いことです^^
そんな体験は必ずしも楽しいものではなく、むしろ苦しい感じがしますが、成長は痛みを伴うもの。
「弾いているとできなくて、辛い。」という方も。
でもその方は部屋を歩き回って気分転換してからもう一度、果敢にチャレンジしています。
もうね、そんなお話聞くと心から「頑張れ〜〜〜〜〜〜!」って応援したくなります。
私も壁にぶち当たった時、苦しかったですから。
でも諦めず、なんとか手を替え品を替え、本を読んだり人に習ったり、いろいろな解決策を模索していますと
ある日、その壁がひょいと乗り越えられるほど低くなってたり、なくなっているのに気がつきます。
なんとも言えない成長を実感する幸せな体験です。
脳の使用領域を増やす、ということは新しい世界に入るのと同じこと。
今まで見えていたものが違って見えたり感じたりできる・・・それって面白そうだと思いませんか?
私もまだまだ新しい世界を見てみたいです。
うちにお迎えして1ヶ月のアル君。
この方も新しい世界が見てみたいようでベランダに出たくてたまらないようです。
ごめんね、外は危ないからダメよ〜。
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