こわい先生のもとで上手くなる時代は終わった。

こんにちは!

 

シェリーです^^

 

最近、スポーツや将棋などを見ていて思うのが、各界第一線で活躍している、いわゆる一流の人たちに共通すること。

 

 

それは皆、

 

飄々としていて力みがないこと。

 

なぜそう感じるかというと・・・

 

一昔前(たぶん昭和)の勝負事の選手とかって何か悲壮感とかただならぬ表情をしていたような記憶があるんです・・・。

 

それが今の人たち、それもすごい結果を出す人たちは特に表情が柔らかで明るかったり、「この人、プライベートもこんな感じじゃないかな?」みたいな。

 

例えば、将棋の藤井聡太さん、野球の大谷翔平さん、バイオリニストの樫本大進さんなどなど・・・。

 

お名前は失念しましたが、大きなマラソン大会で素晴らしい結果を残した女性の方も笑顔でゴールされていました。

 

 

いずれもとても大きな世界的な舞台に立たれているにもかかわらず、プレッシャーよりは楽しそうにすら見えるんです。

 

こういった人たちが、これからどんどん出てきそうです。

 

 

確かに昭和の時代はスポ根ものが流行ったように、苦しまないと勝てない、成功は茨の道を歩いてこそ、みたいな風潮がありました。

 

もちろん、先ほどの方達も影での努力は相当なものだと思いますが、悲壮感みたいなものがない。

 

たぶん、勝つ(結果を出す)ための正しい方法をある種、楽しみながら実践しているのでしょう。

 

 

 

そこで感じるのが、最近、このブログでよく取り上げられる「怖い先生」のこと。

 

 

確かに先生が怖くて厳しいと、それを回避するためにもっと上手にならなくちゃ、とか、今の私ではダメなんだ、とネガティブなモチベーションにはなりました。

 

まるで恐れ慄きながら細いロープの上を高速で綱渡りする、みたいなところがあって。

 

それはそれですごく集中力を発揮するから、上手くいったりしてw

 

 

でもそんなことをしていたら、体が硬くなってしまってコントロールするのが難しくなりそう・・。

 

 

人によってはそんな先生の方が良い場合もあるでしょうが、私はそうしたくないな、と思うのです。

 

 

怖い先生方は戦後の古い時代が生み出したものではないかしら?

 

現在、怖い先生が存在するとすれば、感情的になってるだけか、自分がされてきたことを踏襲しているか、機嫌が悪いのか、それが良い、と信じているのか?

 

 

今の時代は、持てる可能性を正しいその人にあったやり方で伸ばしていくのがシンプルに上手くいきそうな気がします。

 

 

 

 

どうしてもピアノの上に乗りたいアルちゃん。

 

メンタル強め?ですw

 

 

 

 

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