桜の木。

なぜか思い出したことがあります。

 

今、もしあなたが自分に自信を無くしているとしたら、聞いてください。


 

故郷にいた頃。

 

私がまだ若くて(いや、今も若いんですが・・・(^^;)子供が小学校に入学した頃。

 

通学路に一本の大きな桜の木がありました。

 

 

それは、道に接したお店(レストランだったと思います。)の敷地内に生えていて、

ちょうど通学路の歩道橋上から眺めるとそれは素敵な眺めでした。

 

 

春、入学式の頃には淡いピンク色の花を咲かせ、夏には青々とした葉が勢いよく茂り、秋には紅葉し、冬には雪が枝に積もって四季折々の姿を見せてくれました。

 

 

登下校の子供たちはいつもその桜の木の下を通るわけです。

 

 

子供が入学して数日間は親がそのあたりまで子供を迎えることになっていたので、まだ幼さの残る子供たちをママ友たちと目を細めて待っていたものです。

 

そこにはもちろん、美しい桜の花が背景にありました。


 

 

それから数年経ったある日、桜の木があったレストランが廃業し建物が建て替えられることになりました。

 

駐車場を作るのに邪魔になったのか、桜の木があっけなく切り倒されてしまいました。

 

 

誰も口に出すことはしませんでしたが、心を痛めたのは私だけではなかったはずです。

 

その桜の木は私が子供の頃から何十年もそこにあり、何千人という子供たちがその桜の木の下を通って学校に通ったのです。

 

子供たちは大きくなるまでに学校で色々な経験、体験をしたでしょう。

 

その木の下を通り、慰められたり喜びがあったり、さまざまな感情があったと思います。

 

 

そんな思いはとるに足らないものでしょうか?

 

 

その桜の木はただ立っていただけで何の役にも立っていなかったのでしょうか?

 

 

今でも私はその桜の木を思い出します。

 

何ともいえない気持ちになるのです。

 

そして「ありがとう」と心の中で呟きたくなるのです。

 


 

故郷を離れ、今住んでいる街には欅の木が街路樹としてたくさん植えられています。

 

最近になりその木々が一本、また一本と切られていくのを見るようになりました。

 

その度に心が痛むような残念な気持ちになります。

 

 

 

もちろん切られるには何か事情があり仕方がないのでしょう。

 

切ってしまっても特に不利益にはならないと判断されたからでしょう。

 

でも、確かに木々たちは形にならない、数字や言葉など目に見えるものではないものを私たちに下さっています。

 

すごくありがたい存在です。

 

 

最近、新宿区の神宮御苑の3000本もの木々が伐採され、再開発されようとしています。

 

反対する人たちが大勢います。

 

私が尊敬していた作曲家の坂本龍一氏も反対に声を上げていました。

 

 

 

経済活動、数字、効率、利便性、利益など目に見えるわかりやすいものばかりが優先されてしまいます。

 

 

何も役に立たないように見えるものは、本当はかけがえのない大切なものだったりします。

 

それを誰もが感じられるように、大切に守っていけるような世の中になるといいと思います。

 

 

自然の美しさは人を救います。

 

 

そして、自然だけでなく。

 

 

同じように、役に立っていない人などはいなく、この世に存在しているものは自然であれ、人であれ、必ず価値があるのではないかな?

 

 

そんなことを思っていたのです。

 

 

この言葉が必要な人に届くといいなぁ。

 

 

 

今の時期は紫陽花が綺麗です。

 

信じられないほど綺麗な色!

 

自然ってこんな美しさを惜しげもなく見せてくれます。