こんにちは!
シェリーです^^
私の生徒さんのYさんがある高齢者の施設でバイオリン演奏をされました。
「愛の挨拶」「美しきロスマリン」「チャールダーシュ」などのクラシックの他、歌謡曲やアニメの曲、7曲を無伴奏での演奏でした。
聞いてくださった高齢者さんやスタッフの方の中には涙する方もいらっしゃったそうです。
自分が演奏したことで、誰かの心を動かしたり癒やしたりできるのって素敵なことですよね。
Yさん、よかったですね。お疲れ様でした。
ここからは、一見、反対のことを言っているような文章になりますが、最後までお読みいただけたらと。
よく、何か災害などが起こった時、有名なミュージシャンなどが被災地におもむき、演奏などをすることがあります。
「音楽でみんなを元気にしよう!」
ということなんですが、実は私はこのことにとても違和感を感じてしまいます。
「それよりも食材や必要な日用品、お手伝いをする人手の方がありがたいのでは?」
(被災地から演奏のお呼びがかかった場合は別)
ある人気グループのアイドルがお忍びで被災地の炊き出しに参加したと聞き、それまでもその方に好感が持てていましたが
さらに好きになりました。
普通ならこういった人達は歌を歌ったりパフォーマンスをしたりしがちですが、ご自分の判断でこうされたようです。
「音楽で人を元気にしよう!癒そう!」というのは
どうしてだか、私にはそれがちょっと違うような気がするのです。
うまく説明できないんですが。
それは、音楽をやる方の意識の問題かな、と。
音楽というのは、人それぞれに受け取り方、感じ方が違います。
それを押し付けるように提供するようなものではないと思うんです。
ですから、「音楽が心を癒す(元気にする)はず!」と決めつけるのはどうかと。
先にご紹介したYさん。
日々、私が見ていても純粋な気持ちで演奏されていると感じます。
そこには「上手く弾こう」「人からみてどうかな?」「良い格好をしよう」なんて邪念がありません。
美しい音楽を楽しみ、感じ、真摯に練習し、演奏します。
その結果、その純粋さが伝わって涙を誘うような心を打つ演奏になったと思うのです。
あくまで結果なのです。
ここ、そのまま伝わってくれると良いんですが。
もちろん彼女は演奏も上手ですし、楽曲の素晴らしさもあります。
でも、演奏するのは人を通してなので、どんな人が弾くのか、どんな心のありようで弾くのかはとても大切。
彼女の純粋さは音楽を通じて言葉では表せないものとしてそこにあります。
音楽するのは突き詰めると目的なんてものはなく、ただそこにある、だけ。
美しい旋律や音色をただ「美しい」と感じ、それを弾きたい、表現したい、または聴きたい、だけだと私は思います。
そこに「人を癒そう」と思ってしまうのは何か違うかな〜と。
違うご意見の方もいらっしゃると思いますが、あくまで私個人の意見です。
ちょっと抽象的な話になってしまいました。
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